午後8時30分頃、いよいよ、激しい攻防戦が始まる。 火付けは最初、祭りの主催者である野沢組惣代、次に初燈籠の奉納者、その次は村の子供たち、そして、大人の火付けとなる。
社殿正面前に燃え上がる火元社殿で、たいまつに火を付け社殿正面へ攻撃する。火付けをするのは一般村民、それを防いで社殿を守るのが25歳の厄年、社殿の上に上がっているのは42歳厄年。 |
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午後10時すぎ
約1時間半にわたる攻防戦の末、双方の手締めにより、社殿に火が入れられる。
次第に社殿が燃え上がり、大きな炎が空高く燃え上がり、火祭りは終わる。
燃え上がった社殿が、やがて燃え落ちるまでは見逃せない。(午後11時すぎ)
燃え落ちた社殿は翌日まで燃えていて、翌朝、この火で餅などを焼いて食べる人。ここで餅を焼いて食べると風邪をひかずに1年間健康で暮らせると言われている。 |
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