湯澤神社例祭・野沢温泉燈籠祭り |
●日程
毎年9月8日に夜祭り(燈籠祭り)、9日に例祭が執り行われます。 |
●祭りの組織
この祭りの総元締めは野沢組(惣代)、執行は42歳厄年があたる。
この厄年とは、42歳、41歳、40歳の3つの年齢の男の同級生が「三夜講」と呼ぶ組織を作り、3年間この仲間で祭りを執行し、3年後に次の三夜講に引き継ぐ。
祭りの準備から実施までは厄年が行うが、猿田彦命の舞、獅子舞、三十六歌仙舞は、湯澤神社舞楽保存会のそれぞれの拍子方によって行われる。
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●野沢温泉燈籠祭り・湯澤神社例祭の由来
湯澤神社例祭の歴史は定かでないが、天保年間(1830年項)に道祖神祭りが盛大に行われていたことから見て、江戸時代中期から後期と推定される。昔からこの祭礼は、燈籠連れともいい、秋の9月8日・夜祭り、9月9日・例祭が行われる。燈籠祭りは村を挙げての祭りの1つであった。今のように娯楽機関のなかった昔は、これらの祭りは村人にとって大切な信仰的行事であったが、それ以上に大きな娯楽の機会の場であった。
野沢温泉では、湯澤神社の例祭や正月15日の道祖神祭の中心になる若者組が「三夜講」を作った。3つの年齢が1つの組を作り、五番組まであるが、各組ごとに仲間うちから宿を借りてその年の大月番を決め、そのあと飲食をともにした。
湯澤神社祭礼の9月8日、9日近くになると各三夜講、一番組獅子、二番組猿田彦命、三番組金の成る木、四番組三十六歌仙、五番組奴の若者組が各自、割り(負担金)を持ち寄り、祭りの執行をした。
しかし、祭りに対する各自の負担が多く、戦後になってとくに生活にも影響をきたすに至り、ついに昭和20年代後半に三夜講を解散せざるを得なくなった。その後、野沢組惣代が中心となって、とりあえず後見人の若者に祭りの執行を頼み、経費は野沢組会計より予算に組み込むことで復活をはかり再スタートができた。
昭和40年代になり、熱心な若者たちの協力により舞楽保存会が結成され、今日に至っては全盛期に匹敵するまでに復活した。 |
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2009 地縁団体法人野沢組C |